「マチュピチュが日本の温泉街にしか見えない」というコメントともに投稿された画像が話題になったところ、「マチュピチュのある村を作り上げたのは、福島県から移住した初代村長の日本人、野内与吉さんです」という事実が紹介され、再び話題になっていました。野内与吉さんの出身地である福島県大玉村は、姉妹都市(友好都市)となっています。
マチュピチュが日本の温泉街みたい→初代村長が日本人で福島県大玉村の姉妹都市です
マチュピチュが日本の温泉街にそっくりだという写真がTwitterに投稿され話題になっていました。ネット上では「下呂かと思った」「熱海」「箱根湯本かと思った」など多くのコメントが寄せられ、約4.2万リツートされ反響を呼びました。
マチュピチュが日本の温泉街にしか見えない件 pic.twitter.com/TU8v4zZdqA
— Aki (@shiki_no_kaze) 2019年5月20日
リプライには「マチュピチュ村の村長が、福島県大玉村出身の方だったからというのもあるのかもしれないですね」というコメントも寄せられていましたが、5月23日に投稿された、さらに詳しい投稿が注目されています。
マチュピチュのある場所に作られた村の初代村長は、福島県から移民した野内与吉さん。野内さんは、何もないマチュピチュ村に川から水を引いて畑を作り、水力発電を実現させるなど、マチュピチュ村に貢献したことが記録として残されています。
マチュピチュのある村を作り上げたのは、福島県から移住した初代村長の日本人、野内与吉さんです。村にダムや発電所、水路もつくり、温泉も掘り起こし作りました。連合国側で参戦時には、ペルー政府は日本人を逮捕していましたが、村人が「日本人はいない」と身を守ったほど、尊敬された方でした。 https://t.co/exNP2dTxSg
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
またマチュピチュの地元の人の伝説として、海から日本人がやってきて、マチュピチュを作った。というものもあるそうです。
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
標高2000mを超える、山頂の都市マチュピチュには水路があります。雨水をためて使用するのは想像できますが、ためていなくても水が流れます。この水源はどこからの物なのか、今でもわかっていません。 pic.twitter.com/qc0IjlFXME
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
野内与吉さんの息子さんもお孫さんも、マチュピチュ村に関係していらしたのですね。与吉さんは60年代に日本に51年ぶりに帰国した際、日本に暮らすように福島の親族に説得されましたが「妻子が待っている」とマチュピチュ村へ帰ったそうです。その翌年に、お亡くなりになられました。
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
また、マチュピチュ村で初の本格的木造建築「ホテル・ノウチ」を建て、1階は村の郵便局や交番として無償で貸すなど、ホテル・ノウチが村の中心となってマチュピチュ村は発展していったとされています。
野内さんの出身地である福島県大玉村はマチュピチュ村と姉妹都市になっています。大玉村公式サイトでは「マチュピチュ村との友好都市締結の経緯」も紹介されています。
「知らなかった」「ツイッターしてて良かった」など反響
2015年にTBS「世界ふしぎ発見!」で紹介されていたり、「高校英語の教科書に取り上げられていました」と知っていたという声もありましたが、多くのユーザーから「知らなかった」「初めて知りました」という声が続出。
野内さんがマチュピチュ村を日本に似せて作ったのかは明らかではありませんが、日本とマチュピチュに意外な繋がりがあったのは面白いですね。