小学校・中学校の教科書から「鎖国」という表記がなくなることが、次期学習指導要領の改定案で盛り込まれたそう。ネットでは「鎖国がなくなったら、ペリーは何しに来たの?」という意見が。というわけで、小学校の先生に話を聞いてみました。
「鎖国」が消える、でも「ペリーがやったこと」は変わらない
文部科学省が2月14日、次期学習指導要領の改定案で「小中学校の社会科で『鎖国』の表記をやめる」ということが盛り込まれたそう。
これまで習ってきた「鎖国」という言葉は、ヨーロッパで初めて日本を体系的に記した、エンゲルベルト・ケンペルの「日本誌」を志筑忠雄が翻訳した際に誕生した言葉。
「鎖国」という言葉は実際には使われていなかったことや、中国やオランダとの交易は行われていたこともあり、これからは「幕府の海外政策」と改められとのこと。
鎖国といえばペリー。
ペリーと言えば、宮崎吐夢のネタ(ペリーの開国要求)の「開国してくださいよぉー」「誠意見せてくださいよぉー」という動画(当時はFlash)を思い出す人が多いと思いますが、R25によると「いったいペリーは日本に何をしに来たの?」という意見がネットで多く見られています。
そこで、小学校の先生に「ペリーはいったい何しに来たの?」と聞いて見ました。
ペリー「太平洋で稼ぎたいから、うちの国にも門戸ひらいてよ」
「鎖国」という表記がなくなって、「ペリーさん何しに来たんだ?」という意見がネットで散見されるのですが、簡単に説明するとどういうことなんです?
簡単に言うと「太平洋で金稼ぎたいから、キリスト教禁止とか貿易自由化反対とかつべこべ言わねーでうちの国にも門戸ひらいてよ」って言いにきたんですよ。
なるほど。
しかも、日本の軍艦(笑)の数倍のサイズの黒船でやってきた。
「やっちゃうよ?言うこと聞けよ?」って脅しに来たということ?
いや、幕府が「脅された気がした」というのは確かだけれど、ペリーは武力制圧ではなく外交としてちゃんと対等に話に来たんですよ。
だからこそ、一旦帰国して、次の年にまた来航して、という外交儀礼をしっかりとやっているんですね。
つまり、「幕府が勝手にビビった」ということ?
実際、ビビっただろうね。当時の日本にはない、蒸気機関と大砲をたくさん積んだ大きな船が4艦もやってきたわけだし。
でも、ペリーは幕府をビビらせたけど、悪いヤツではないんですよ。出島〜横浜とたらい回しにされても、幕府を尊重した対応をしたわけですから。
ちなみに幕府はペリーが来るまで大きい船は幕府にとっても危険だといって作ってなかったんだけど、その後にはオランダやイギリスから軍艦を買ってます。
ビビって軍艦買ったのか。<
ペリーが来る前にもロシアやアメリカ、イギリス、フランスなどの軍艦は来てはいたんだけど、うまくあしらったり、浦賀の大砲撃ったりして拒否してたんですね。
でも、ペリーが連続してきて大統領親書と空砲をかましたら、幕府も観念したようです。脅しや駆け引きとも、とれるかもしれないですね。